金沢城跡が公園となり、復元された石川門・菱櫓・橋詰門続櫓などを見ることができます。
金沢城が建てられる以前は、一向一揆の拠点として浄土真宗の尾山御坊(おやまごぼう※城に近い要塞のような建物)となっていました。その後、織田信長によって一揆が攻め落とされ、織田信長の家臣・佐久間盛政(さくまもりまさ)が初代当主となった。
賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)を佐久間盛政は、柴田勝家(しばたかついえ)と戦い羽柴秀吉軍に敗れたため斬首となった。
前田利家(まえだとしいえ)が当主となり、加賀百万石の礎を作った。また江戸時代まで加賀藩は前田家がを治めた。
明治以降は軍施設として、戦後は金沢大学の旧丸の内キャンパスとして平成7年(1995年)まで使用されました。
平成8年(1996年)からは金沢県の所有となり、城内の復元工事が始まり現在も続いています。また平成20年(2008年)には金沢城跡として国の史跡に指定されてました。
石川門の櫓です。
三の丸から見た、左から橋詰門続櫓・五十間長屋・菱櫓 です。
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