永平寺は、神奈川県の総持寺とならぶ曹洞宗の総本山になります。
永平寺に檀家はなく、曹洞宗の僧侶の出家道場となっています。
開祖は道元。本尊には、釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏です。
※三世仏・・・過去 現在 未来を表す仏様のこと。
開祖・道元について
1200年に京都に生まれる。両親が亡くなったあと、14歳で天台宗の総本山である比叡山延暦寺で仏門に入る。道元は「天台(宗)の教えでは、人は皆生まれながらにして、本来悟っている(本覚思想)はずなのに、なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか」という強い疑問を持ちました、答えを得ることができませんでした。。
その後、17歳で比叡山延暦寺を下り、建仁寺に入り栄西(えいさい)の弟子 明全(みょうぜん)に師事し、23歳のとき明全とともに南宋に渡りました。
南宋では阿育王山(あいくおうざん、※阿育王寺のこと)の典座(寺の役職のひとつ)と出会い、「修行とは、人の生活そのものです。また私たちが元々さとりを備えていても、修行をしなければ悟りは現れないのです。つまり修行とさとりは、切り離すことができず同時にしか現れない(修証不二)。」と教えを受けます。
その後、天童山景徳寺の住職 如浄(にょじょう)に師事します。ある日、座禅の修行中に他の僧が居眠りをした際に、如浄が「坐禅は、心身脱落でなければならん」という注意をきっかけに得悟(悟り)し、如浄から如浄禅師の仏法を受け継ぐことを許され、27歳のときに帰国しました。また道元の考えでは、座禅こそ最高の修行と考えられ「只管打坐(しかんたざ)※ただひたすらに坐ること(坐禅)の意味」という言葉で表されます。
33歳の時に京都深草(現在の伏見区)に、興正寺(こうしょうじ)を建立したが、のちに達磨宗から多くの入門者が相次いだことから比叡山から弾圧を受けました。
43歳の時、俗信者の越前国の地頭 波多野義重の招きで越前に移転。翌年、傘松に大佛寺を海山。翌々年に大佛寺を永平寺と改めました。
永平寺の名前の由来は、初めて中国に仏教が伝来した時の元号「永平※永久の平和の意味」と言われています。
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