土津神社(はにつじんじゃ) 【福島県耶麻郡猪苗代町】

陸奥国会津藩初代藩主の保科正之(ほしなまさゆき)を祀っている。保科正之は、徳川家康の孫にあたる。生前に卜部家神道(うらべけしんとう)を学び、霊社号(仏教でいう戒名)が土津霊神で、土津神社の由来となった。
社殿は、保科正之の逝去の3年後の延宝3年(1675年)に建立された。その後、戊辰戦争の戦火にあい焼失したが、現在の社殿は明治13年(1880年)に再建されたものです。
境内には保科正之の子供たちも祀られており、右奥にある石畳を進んでいくと保科正之の墓所へも行くことができます。
春の桜と秋の紅葉の名所です。

保科正之の墓所です。

(42mm f4.5 1/125s ISO640 )
(32mm f4.5 1/125s ISO640 )

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鶴ヶ城公園(つるがじょうこうえん)【福島県会津若松市】

別名:若松城
鶴ヶ城の跡地を利用した公園で、生垣やお堀は昔のままの姿を見ることができます。
また天守閣は、戊辰戦争で痛みその後に解体されたため、昭和40年(1965年)に鉄筋コンクリートで再建され、天守閣の中は若松城天守閣郷土資料館となっています。

江戸時代から明治維新までは、会津藩を治めた会津松平家の居城として利用された。会津松平家の初代当主 保科正之は没後、土津神社に祀られている。戊辰戦争の先頭の一つ 会津戦争では、会津藩士が若松城を立て篭もったが、新政府軍の砲撃を受け1ヶ月後に降伏し開場しました。砲撃にさらされた天守閣は激しく痛み修復を行われることはありませんでした。

天守閣と紅葉です。(61mm f5.6 1/200s ISO 200)
(37mm f5.6 1/200s ISO 200)
(28mm f3.5 1/200s ISO 200)

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